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がんばれ宮崎

みやざきWEBチャンネル TOP WEBキャスターの部屋台湾アドレナリンの旅

ようやく台湾滞在2日目になります。今日のテーマは「日本統治時代の歴史的建造物めぐり」です。朝6時半に起床しました。

ホテルの朝食ビュッフェがまた豪華で、夕べあんなにお腹いっぱい食べたのにまたお腹が空いてるのに自分でも半ばあきれかえりつつ、台湾の代表的な朝ご飯『豆漿(トウチャン)』という豆乳を温めて塩や酢で味付けし、ネギや桜エビ、油條(ぱりぱりに揚げたパンみたいなの)などの具を入れたのやシェフが目の前で作ってくれるオムレツやサラダやチーズやサーモンだとか・・・超豪華な朝食を食べて8時にホテルを出発しました。

まず向かったのは大変賑やかな都会の只中にある市民の憩いの公園「二二八和平公園(アールアールパーフーピングンユエン」」です。この公園は台湾が現在のような民主的な社会になる前に起こった台湾人の大虐殺「二二八事件」を記念し、この名前がつけられました。(この事件については後日改めて詳しくご紹介します)
この公園の中には日本統治時代に建てられた放送局の建物や、現在は博物館となっている台湾総督の住居などが今も残っています。



この日は「中秋節」という台湾の祝日にあたり、早朝の公園内では太極拳を楽しむ人の姿などが見られました。(写真は昔の放送局で現在は「二二八祈念館」という資料館になっている建物です。)

博物館はあいにくこの日は休みで、建物の外観を外から眺めつつ昔を偲んでいたら、どこからともなく童謡「富士山」の口笛が聞こえてきました。ふと振り向くと、台湾人のおじさんが上手に口笛を吹きながら手招きしています。近づくと、とても流ちょうな日本語で「これはね、僕が小学4年生の時に、担任のハシトミ先生が教えてくれた日本の紙ヒコーキですよ」と言って、空高く紙ヒコーキを飛ばして見せてくれました。

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このおじさんは日本が台湾を統治していた頃小学生だったようです。
仕事をリタイヤしたあと、ヒマがあればこの公園に来て、子どもたちに紙ヒコーキを作ってあげたり、作り方を教えてあげたりしているそうです。それから延々30分ほど、おじさんは私たちにも作り方や飛ばし方をレクチャーしてくれて、さらに自分が長年集めた面白い日本語集のコピーをくれたりしました。(例えば「すべって転んで大分県」などです、かわいいでしょ)


台湾に行くと、このようなおじいさんやおばあさんに良く遭遇するのです。自分がいかに上手に日本語を話せるかとか、昔自分が日本人だった時代、日本の軍隊でどれだけ活躍したかなどを、それはそれは懐かしそうに語って聞かせてくれます。私たち日本人旅行者に向けるまなざしはとても温かです。初めて台湾を訪れた時私は「日本はアジアの嫌われ者」と思っていたために、そんなおじいさんやおばあさんにとまどいを覚えました。しかし、訪台を重ねるごとに、彼らは日本が大好きなのだということに気づきました。それはどうしてか・・・これは台湾の歴史が大きく関係しています。相当長くなってしまいそうなので、また日を改めて書きたいと思います。今日はここまで。明日をお楽しみに。

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