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がんばれ宮崎

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This is the archive for November 2010

天岩戸へ、隠れてしまった、太陽の神、アマテラスを、
何とか、もう一度、岩戸の外へ、連れ出すために、
八百万(やおよろず)の神たちが、色々段取りし、
最後に、踊りで、アマテラスの、気を惹いたのが、
アメノウズメと言う名の、女神です。

従って、アメノウズメは、舞踏の神様です。
神楽の元祖です。
(余談ですが、神楽とは、文字通り、神を楽しませるための舞です。)
今では、範囲を拡げ、芸能の神様です。
更に言うと、ストリッパーの元祖です。

アメノウズメは、この天岩戸の場面の他、もう一ヶ所、登場します。
それは、天孫降臨の場面です。
ニニギの一行が、降臨する時、道を塞いでいた、
雲つくような大男、天狗の顔をした、サルタヒコに対し、
気後れする事無く、堂々と渡り合った神、それが、アメノウズメです。

この縁で、アメノウズメは、猿女(さるめ)の君の祖神となり、
猿女君一族は、後に、宮廷の芸能行事を担当する氏族となりました。

岩戸神話の、最後に登場する、スーパースターが、タヂカラヲです。
岩戸を開け、太陽の神、アマテラスを、外に連れ出した神です。
このお蔭で、世の中は、再び、太陽が輝きます。

高千穂神楽のスーパースターでもあります。

ところで、長野県の戸隠神社の中の、奥社の御祭神が、タヂカラヲです。
岩戸を、放り投げると、戸隠山まで、飛んで行って、
そこに、留まったと言う、伝承があります。
しかし、古事記にも、日本書紀にも、岩戸を放り投げた、
と言う話は、ありませんので、後の世に、戸隠神社の、
行者たちによって、作られた話のようです。
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八俣大蛇は、神話の中でも、有名な話の一つです。
舞台は、出雲(いずも)。今の島根県です。
高天原(たかまのはら)で、乱暴者だったスサノヲは、
追放されて、出雲に下ってきて、ここでヤマタのオロチを、
退治して、出雲の英雄となるのです。

スサノヲが、斐伊川(ひいがわ)の上流へ来ると、
親子が泣いていました。訳を尋ねると、
「私たちには、八人の娘がおりましたが、
毎年一人ずつ、ヤマタのオロチに食われ、
ここにいるのか゜、最後の一人で、
櫛名田比売(くしなだひめ)と申します。
この子が今年食われるので、こうして泣いているのです。」

これを聞いたスサノヲが、「私が退治してやろう」と言い、
オロチに、強い酒を飲ますという、策略で酔わせ、
眠り込んだ隙に、オロチを切り殺して退治しました。

この時、尾を切った時に、尾の中から、
草薙(くさなぎ)の大刀(たち)と言う名刀を見つけ、
アマテラスに献上します。
これが、三種の神器(じんき)の一つとなります。
三種の神器とは、刀、鏡、そして勾玉(まがたま)です。
この内の刀が、草薙の剣(つるぎ)のことです。

出雲地方の神楽(かぐら)では、「ヤマタのオロチ」の演目が、
最も有名です。

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大国主は、出雲系の神様では、最も有名です。
この神様は、沢山の名前を持っており、
古事記では、それぞれの物語に、違う名前で登場します。

最初の因幡(いなば)の白兎(しろうさぎ)の話、
赤猪(あかいのしし)の話、楔攻め(くさびぜめ)の話では、
オオナムジと呼ばれます。

次の、蛇部屋の話、ムカデ部屋の話、鳴り鏑(かぶら)の矢の話、
虱(しらみ)の話では、アシハラシコヲと呼ばれます。

次に、沼河姫(ぬなかわひめ)の話では、ヤチホコと呼ばれます。

最後の、国譲り(くにゆずり)の話で、やっとオオクニヌシと呼ばれます。

更に、ずっと後の世になって、多分、室町時代か、江戸時代かですが、
宝船に乗った、七福神が、新たに作られ、
その中に、大黒天(だいこくてん)と言う神様がいましたが、
この大黒天と、混同されました。

何故なら、大国(おおくに)は、(だいこく)とも読めるからです。
童謡の「大黒様」は、まさに、この混同の典型です。

宮崎の都農神社は、日向一宮として有名ですが、
ここの神が、なんと大国主を祀っています。

天孫系の神様を祀る神社が多い宮崎ですが、
出雲系を祀っているのは、珍しく、しかも一宮とは。

日本の国の「おおらかさ」なのでしょうか。
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都農神社

国譲りで、活躍するのが、タケミカヅチの神です。
このタケミカヅチは、イツノオワバリの子です。
このイツノオワバリは、剣の名前です。
イザナキが、火の神カグツチを斬ったときの剣です。

タケミカヅチは、この剣の手元についた、
カグツチの血から生まれたのです。

タケミカヅチは、剣の神であり、雷(イカヅチ)の神でもあります。
稲妻と剣とは、似たイメージがあるようです。
タケミカヅチは、古来、武将の守り神として信仰されたようです。
茨城県の鹿島神宮の主祭神として祀られています。

古事記では、タケミカヅチが主人公ですが、
全く同じ話なのに、日本書紀では、フツヌシの神が主人公です。
このフツヌシは、千葉県の香取神宮の主祭神として祀られています。

同じ性格を持つ、二つの神が、利根川を挟んで祀られているのです。
多分、古墳時代に、大和の武将が、関東征伐に来たとき、
関東の入り口である、利根川の両岸を押さえ、
ここを根拠に関東征伐をしたからだと、思われます。
その時に、守護神として、祀られたのでしょう。

古事記によれば、タケミカヅチに脅された大国主は、
「国を譲る代わりに、ここに立派な神社を建ててください。
そうすれば、私は、その中に永久に隠れましょう」という事で、
神社が建てられたと書いてあります。
これが、出雲大社創建神話です。

出雲大社は、古くは、杵築(きつき)大社と言います。
平安時代の延喜式神名帳(西暦927年)に書かれています。
明治4年(1871年)に、出雲大社と改称されました。
正式には、「いずも おおやしろ」と読むそうです。

拝礼の仕方が、一般の神社の二拝二拍手一拝と異なり、
出雲大社では、二拝四拍手一拝で拝礼します。

大国主と須勢理姫との話などから、縁結びの神として有名です。

平安時代に、源為憲(みなもとのためのり)と言う人が、
子供の教育用に、「口遊(くちあそび)」という数え歌を作りましたが、
その最初が、「雲太、和二、京三」でした。
雲太(うんた)は、出雲太郎で、出雲大社のことです。
和二(わに)は、大和次郎で、大和の東大寺大仏殿のことです。
京三(きょうさん)は、京三郎で、京都御所の大極殿のことです。
これにより、平安時代には、一番背の高い建物だったと言われています。
(但し、これは、神・仏・人の順で、背の高さの順ではない、と言う説もあります。)
いずれにせよ、背の高い立派な建物として有名であったことが、分ります。

いよいよ、今日から、日向(ひむか)神話です。
最初は、天孫降臨です。
大国主から、日本の国を譲られた天照(アマテラス)大神は、
孫のニニギを、天の高天原から地上に降ろされました。
天照(てん)の孫(そん)が降臨したので、天孫降臨と呼びます。

降りた場所は、奈良時代の書物の七ヶ所に記載されています。
古事記(西暦712年)では、 崔淹腓瞭向の高千穂のくじふる嶽」とあります。
日本書紀(720年)の本文では、◆崙向の襲(そ)の高千穂」とあります。
日本書紀には、異伝も書かれていて、
第九段第一の異伝では、「筑紫の日向の高千穂の槵触(くしふる)峯」とあります。
第九段第二の異伝では、ぁ崙向の槵日(くしひ)の高千穂峯」とあります。
第九段第三の異伝では、ァ崙向の襲の高千穂の槵日の二上の峯」とあります。
第九段第六の異伝では、Α崙向の襲の高千穂の添(そほり)の山の峯」とあります。
風土記(713頃)の日向の国編(逸文のみ)の知鋪郷(ちほのさと)の項では、
А崙向の高千穂の二上の峯」とあります。

降臨の比定地は、二ヶ所あります。
「宮崎県西臼杵郡高千穂町」と「宮崎・鹿児島県境の高千穂の峯」です。
いずれにせよ、宮崎県に降臨したのは、間違いありません。
北の高千穂町付近には、関係名称として、高千穂町、二上山、槵触神社があります。
南の高千穂峰付近には、関係名称として、高千穂峰、曽於(そお)市があります。
曽於(そお)は、襲(そ)からきた名称と言われております。
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国見丘から見た二上山(左が女岳、右が男岳)
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御池から見た高千穂峰