宮崎の人
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がんばれ宮崎

みやざきWEBチャンネル TOP 宮崎の人山道義孝さん



村田博文 主幹  S22.2.10生まれ

串間市出身。日向学院高校に半年通った後、母が体調を崩し、鹿児島県志布志高校に転校。
早稲田第一文学部を卒業し、昭和45年より産経新聞記者となり、昭和52年に「財界」に転籍。編集長を経て平成4年社長となる。
現在、月曜から金曜までは東京にて取材活動をし、土日には妻の実家である山梨県甲府市に住み、野良仕事などをする一面も・・・。

財界(以下、引用)
『財界』は、1953年に故・三鬼陽之助が創刊し、「企業経営は人なり」という視点で、それまでにない新たな形の経営分析・評論を確立しました。以来、トップクラスのビジネス誌として社会的に高い評価を受け、今日に至っております。(財界WEBより)


吉田:編集の仕事は夜もおそいですよね?

村田編集長(以下、村田):毎日夜9時か10時くらいまででしょうか?一日に4、5人と会って取材をしています。お会いすると最低でも一時間は話を聞きますね。今日は太平洋セメントの社長と会いましたが、あっという間に一時間半になってしまいました。
吉田:太平洋セメントの社長さんは鹿児島出身ですよね?九州出身の方と会われると親近感がわきますか?
村田:そうですね。あっという間に打ち解けますね。話が合うんですよね。

吉田:宮崎の方に取材にいかれることはありますか?

村田:ありますよ。僕は取材で現場に行って飛び回る方ですから。つい先日も都城に伊藤園の
関連で行ってきて、東国原知事ともお会いしました。今はお茶ブームで、お茶ドリンクの原料を調達しなきゃいけないでしょ?実は原料供給よりも需要の方が上回っているんです。
大規模に作らなきゃいかんことになっている。実は、鹿児島は今度茶葉の生産地で静岡を抜くんです。企業の方は安定的に供給してもらう。農家の方は雇用が生まれ、農業用地が有効活用され、荒れ地にならずにすむ。いわゆる企業と農業のコラボレーションが生まれている訳です。

吉田:宮崎も都城もお茶どころなんですが、例えば都城でとれたお茶が製品になった時には、静岡茶や宇治茶になっていたり。宮崎人としてはこれは辛いですよね。
村田:よくあることですね。やっぱり産地の力が弱いということなんでしょう。枕崎のカツオが焼津でないと売れないとか、素麵でいえば姫路の揖保や奈良の三輪のブランドでないと売れないとか。でも枕崎のカツオも島原素麵も、やっぱり地元の名前でないと駄目だということに気づき既にブランド化に乗り出しています。都城市長もおっしゃってましたが、都城茶や宮崎牛(地元のもの)で売り出していくという考えのようです。トレサビリティーじゃないですけど、その産地で育ったもの・作ったものを産地の名前で売り、買ってもらおう、こういう気持ちは大事じゃないでしょうか?
吉田:自分の名前をきちんとつけないと責任がもてないですよね。
村田:地方がそれぞれの気候風土や歴史を背負っているわけですから、これは霧島で育った牛ですよ、ミルクですよときちんと言える。
吉田:これが+αの価値ですね。
村田:今はネット社会でもあるし、直接消費者に訴えることもできるじゃないですか。間がなくなって直接発信できる時代になったということじゃないでしょうか。
吉田:今、知事の影響もあって宮崎がブームになっていますが、出身者としてはいかがですか?
村田:先日もお会いしましたが、期待していますよ。中央からお金を持ってくるという従来型の
官庁頼り、行政頼り政治家頼りの地方振興から、今度は自分たちの手で物産を売り込んでいく。あるいは、情報発信をして自分達の観光資源を掘り起こしてきてもらう、こういう時代になりました。地方から全国にあるいは世界に発信するその先駆けにもなりました。戦後60年、変わり目でしたね。いいタイミングでもあったし、色々な問題が起きている中、県民や国民が見ている流れの中で「どげんかせんといかん」という気持ちを県民と共有できたわけです。彼は宮崎のPRをやってくれた。「地とっこ」も鳥インフルエンザという厳しい状況から巻き返してくれた。宮崎の救世主ですよ。基本的に中央から仕事をもらうパターンから自分達の力で掘り起こそうと変ろうとしきている時に彼は登場してきたのです。
芸能界出身の方ですから、全国に名前も売れましたが、もし、自分がいなくなった時にでも県民の方だけで維持できる宮崎づくりをしたいと言っておられました。しかし、半年たちましたし、これからはマスコミも離れていき、地力を問われる時期でしょうね。県民も知事だけに頼っていくのではなく、自分たちで発信して、自ら立たなくてはならないですね。これは企業も同じです。自立という時代がきたのです。

吉田:全国で宮崎県が最先端を行くのは初めてで、県民としてはちょっと戸惑っている部分もあるのですが・・
村田:一番先を走れるのは良さを売るいいチャンスですよ。みんなが見てくれている時期は終わり、次は地力をつけて走る番です。知事も言われていましたが、天孫降臨の神話の国、宮崎、古事記や日本書紀に出てくる神話を背負っている宮崎をもっと生かさなければもったいないですよね。
吉田:そうですね。海と山と空だけじゃなく、インテリジェント・知的好奇心を刺激する売り方もいいですよね。
村田:癒しの時代でもありますし、高千穂の歴史をもっと掘り起こして、もっと日本の歴史をたどり歴史の旅を散策し、宮崎の人情にふれてもらう。おもてなしの心をもって県民全体でもてなしていけば喜ばれますよね。
そういう意味でいうと、吉田さんもご存じの宮崎交通の創業者の岩切正太郎さんですね。
昭和の初年から乗合バスから始まり観光地としての整備を進められ、ピークは昭和40年代の半ばで終わりましたけど、宮崎交通のバスやタクシーに乗るとおもてなしの雰囲気で観光客も幸せな気分にひたれるということがありましたね。ああいう姿勢が非常に大事じゃないですか?宮崎に行ったら気持ち良くみて回れた。温かく接してもらった。もう一回行って場合によっては、あそこに住んで老後を過ごそうと思われることがいいんじゃないですかね。
吉田:実際今まで宮崎県はあんまり存在感がありませんでしたよね。宮崎県ってどこ?と言われることもよくありました・・。
村田:そうです。存在感は薄かったですね。薩長閥の中で薩摩が私たちを弟分とみていたから無理もないですね。私も鹿児島の県人会に行くことがありますが、都城は島津の発祥の地ですよね。都城は島津、串間は最初の島津領であったのが、高鍋の秋月藩に組みこまれました。日向は、内藤・秋月・伊東そして薩摩の共存ですね。江戸幕府によって宮崎県は天領にされましたから。
県庁所在地に藩校がなかったのが精神的バックボーンを作っていないですね。
吉田:薩摩はそういうバックボーンがすごかったですものね。
村田:大分も日田・豊前・中津など、福岡には黒田が、そして熊本には肥後があって、まとまっていたけれど宮崎には中心となるところがなかった。
吉田:だから宮崎の人はポワーンとしているのでしょうか? 鹿児島の人とはちょっと違いますよね。
村田:しかし、軍隊でいえば都城は強かったですよ。熊本や小倉連隊も強かった。都城は弟分とはいっても薩摩の気風があるんじゃないですか?そういうのをはっきりした方がおもしろいんじゃないでしょうか?私は、宮崎についてすぐ都城JAに高速でいったのですが、そこに「おじゃったもんせ」と書いてあったんです。それから
宮崎県事務所に行くとポスターに「きっくいやんせ」とあるんです。これは完全に薩摩弁ですよね。薩摩弁で出した方がいいものか、宮崎弁で出した方がいいものか。
吉田:それは知事が言われる言葉なんですよ。知事は都城のご出身だからあちらの言葉になるんですね。「どげんかせんといかん」というのも実は鹿児島弁なんですよ。「どんげかせんといかん」というのが宮崎弁なんですよね。厳密に言うと都城も宮崎県なのでいいんじゃないかという認識なのですが、鹿児島県の方が聞いたら鹿児島弁を使ってる!!と思いますよね?

吉田:今日も主幹はたくさんの方にインタビューをされたということですが、トップの方にインタビューする時、気を遣われる事は何ですか? 
村田:気を遣うというか我々は、経営は人なりと言います。我々の雑誌は昭和28年「三鬼陽之助」という人が東洋経済から独立して創って今年の8月で創刊55周年を迎えます。「経営は人なり」ですから経営はやはりリーダーの存在によって成長もあるし、場合によってはおかしくもなるわけです。トップは自分の経営哲学をもっておられるのでその人の良さをひっぱりだそうと思っています。失敗した時はかなり厳しくなりますが、どうしたら経営が良くなっていくかを一緒になって考えていこうと思っています。読者は会社の中堅幹部であり、経営者ですから責任があるんですね。当然、苦労もしていますね。でも、その苦労の中で私たちも考えて質問していくのです。その方たちは経営哲学や基本軸をしっかり持っておられますから、そのポイント・エッセンスを聞くわけです。我々はその真髄にふれていこうと。
その人の真髄に触れ、その人が社会に影響力を及ぼしているわけですから、そういう人たちの30年40年50年を歩いてこられた重み、エッセンスを聞かせてもらい読者に伝えていくわけです。
吉田:私なんかは委縮してしまいます。怖いとおもってしまいますね。
村田:委縮してはだめですね。その人の良さを知るためには謙虚にふるまうことですね。教えてもらったり聞かせてもらったりするのだから警戒心も解いておかないといけませんよね。取材をする方の中には、普段しょっちゅう会う人もいれば、初めて会う人もいるわけです。マスコミにはいろんな人間がいますし、警戒もされる、しゃべるというのは余計なことですから、混乱して変な風に伝えられても困るのです。我が「財界」誌は一緒になっていかに経営をよくするか、これからの経済をよくするにはどうすればよいのか、またトップとしてその企業をどうすればよいのかを考えていく雑誌なのです。例えばJALならば、今日本航空は厳しい環境にある。ここで一致団結しないでそれぞれが勝手な要求ばかり出しても困るということも書くわけです。企業は社会のためにあるのだと苦言も呈します。理屈っぽいですが、基本スタンスはそこです。「経営は人なり」というのは、経営者は必ず哲学がある、社会に貢献する会社でないと生き残れないですよと、そういうスタンスで聞くわけです。
去年ホリエモンや村上ファンドの問題がおきましたね。TBSや楽天の問題もありますが、
企業は誰のためにあるかというスタンスで私たちは書いています。
吉田:ホリエモンさんは企業は株主のためにあるといってらっしゃいますよね。
村田:これは正しいですよ。会社法として株主がお金を出してなりたっているので当たり前です。経済用語でステイクホルダーといいますが、利害関係者。それにはどいういう人がいるかといいますと、従業員がいないと会社はなりたちませんね、資材、原料を提供してくれる取引先がいるからトヨタ自動車も車がつくれる。工場があり、営業所があり、地域社会の支えがある。火事がおこれば消防車がすぐかけつけてくれる。泥棒が入ったら警察がかけつけてくれる。住民票の手続きについても市役所がサービスしてくれる。そういう行政サービスがありますよね。ユーザー、顧客あり、取引先あり、地域社会あり。これも大事なステイクホルダーですよ。こういう人が支えてくれているから企業がなりたっているんですね。
従業員には賃金を払う、地域社会には税金を払う、取引先には対価を払う、サービスをうけたらその代金を払う。そういう意味で会社は誰によって支えられているかという視点が今欠けていますね。従業員のため、従業員は家族を養い子供たちの教育や志のある人間をつくることまでを抱え込むわけです。決して株主のためだけではない、株主のためだけに利益を追求するのは公正さを欠くという主張を私たちはやってきたのです。


吉田:宮崎でこれはとおもっていらっしゃる注目企業はありますか?

村田:私は企業誘致アドバイザーも請け負っているのですが、大きいところでは国富の富士通日立ディスプレイがあります。あちらは1000人単位で雇用を確保していますし。幹部の方がおっしゃってましたけど宮崎の人は本当に一生懸命働いています。このまじめさは維持してほしいですね。
あとは、宮崎出身の中島社長が創られたメデイキット。最先端の人工透析の機器をつくっている会社なのですが大変すばらしい業績をあげられている上場会社ですよ。文京区に本社がありますが、ふるさとに工場をほとんど全部つくっていらっしゃるんです。
吉田:じゃあぜひ今度取材をしてみたいですね。
村田:ええ、是非こういう会社にインタビューされたらいいんじゃないでしょうか?県の観光協会の会長もされている中島さんのところの雲海酒造さんも、霧島さんとはライバルですが、がんばっていらっしゃいますよね。宮崎の観光資源を売り出され焼酎もどんどん出されていますし、ああいう方たちに一生懸命頑張ってほしいですね。
吉田:県内のイベントなどにも協賛企業としてよくご協力していただいてます。


吉田:最後にふるさとへの思いを聞かせてください。村田社長にとって宮崎はどういう存在ですか?
村田:うまれた故郷だからぐーっとくるものがありますよ。宮崎全体もそうですが、特に私の生まれた串間の都井岬の灯台に立ちますと、外の浦や大隅半島までみえて絶景ですね。その昔は南極観測船の宗谷も都井岬の沖を通って南極へ向かいましたよね。若山牧水も歌っていましたが、プルシアンブルーの海と空と白い雲、緑、その中を野生馬が走る風景は私の目に焼きついています。
福島中学校の浦のたかはた山の風景は、まさに「うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川」のイメージで自然がいっぱいだったので私としては純朴に育ったつもりです。宮崎の良さっていうのはそこじゃないですかね。人情もそこだろうし、それを生かしてもらうとよいと思います。
吉田:自分がふるさとのためにできることって何だろうってお考えですか?
村田:宮崎の良さを売り込んでいくことですね。
吉田:先ほど拝見していたのですが、雑誌の中に東国原知事の事とか書いてくださってますよね。
村田:自然を生かすところですから癒しの場所として売り出したらいいですね。武者小路実篤の新しき村って
あったでしょう、その現代版新しき村っていうのかな?自然・食べ物のよさ・人情を全国に発信するんです。宮崎から新しい時代の生き方を発信する。シンクタンク的なもの、芸術活動をなさっておられるような方にも来てもらい、住んでもらい情報発信をしていくのもいいじゃないですか。
吉田:音楽祭は行かれたことはありますか?私は時間の許す限り行っているんですが素晴らしいですよ。
社長がもどってこられると活気がでますね。わーっと。
村田:ツーショット撮影・・・
吉田:なかなか取材されることってないですよね?今日はお忙しいところ有り難うございました。