航宙日誌
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がんばれ宮崎

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ハウスカレーのパッケージ

近所のスーパーで発見。みな知っているのだろうか。

おそらく幼稚園の頃(昭和40年)くらいに、宮崎の祖父母の家に預けられていたときに、近所の食料品店(若山商店)の奥の棚に4,5個積んであった。
そういえば、たまごは金属のかごにいれて吊り下げてあったし、お菓子はガラスケースに入れてあった。手をつくな、割れるとよく怒られたなあ。

幼稚園生かその前の年、夕飯時のおかずはうま煮だった。鶏肉と野菜、こんにゃくが入っていたと思う。子供の僕はそれがきらい(たぶん、魚系の出汁がだめだったんだと思う)で、これじゃいやだとぐずった。
やさしい(孫に甘い)祖母は、おわんのうま煮をざるにあけ、水洗いをしたあと、それを小なべに入水を加えて煮立て、そこにこのカレールーを入れて、カレーを作ってくれた。

ところが、である。聞き分けの無い、わがままな僕は、まだ魚系の出汁のにおいのするカレーをまずくて食えない!とやったのだ。祖母の困った顔を今でも思い出す。と同時に祖父の平手が飛んできた。目の前に火花。「そんげなやつは食わんでいい!外に立っちょけ!」土間に立たされた僕はワーンと泣き出す。祖父が恐くておしっこをもらした。
そして祖父のげんこつが。「どこでしょんべんしよっとか!」
さらに泣き出す僕。でも祖母も祖父もほったらかしでご飯を食べている。

祖父は厳格だった。でも初孫である僕にはとてもよくしてくれた。青竹を材料に滑り台を作ってくれたり、藤棚にブランコを作ってくれたり。
田んぼの土を取ってきて、バケツの水に溶かして沈殿させると下に粘土ができ、それで遊ばせてくれた。蓄音機のエンジン部をどこかからか持ってきてくれてそれで遊ばせてくれた。
機関車を見に駅まで自転車に乗せて連れて行ってくれた。

祖母は幼稚園の親子行事が苦手だったようだ。確かに祖母だけ、年寄り。しかも農家なので真っ黒。おそらく他のお母さんたちは20代。祖母は50歳くらい。

もうその祖父母もとっくに鬼籍に。
カレーの箱で久しぶりに思い出した。