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がんばれ宮崎

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This is the archive for January 2011

  4  即ち 天地(あめつち)   開(ひら)ける時
     地(つち)はドロドロ    漂(ただよ)って
     例えば 魚(うお)の    浮かぶよう
     その時  ひとつ     物(もの)がなる
  5  それは まるで      カビのよう
     それが やがて      神となる
     最初に  生まれた     神の名は
     国常立(クニノトコタチ) と  申します
  6  次に 成り出た     神の名は
     国狭槌(クニノサツチ) と    申します
     三番目に        成り出たは
     豊斟渟(トヨクムヌ) と   申します
  7  これで 三柱(みはしら)   神できる
     陰陽(いんよう) のうち   陽のみで
     できあがった       神なので
     純(じゅん)な 男の    神である
  8  次の神から      対(つい)の神
     埿土煮(ウイジニ) 沙土煮(スイジニ)  生まれます
     次に 大戸之道(オオトノジ)   大苫辺(オオトマベ)
     次に 面足(オモダル)と     惶根(カシコネ)と
  9  次に 神あり      伊奘諾(イザナキ)は
     伊奘冉(イザナミ) と共に    対(つい)の神
     ようやく 主役     現れる
     イザナキ イザナミ     現れる
 10  これで 八柱(やつはしら)    神生まれ
     これらは陰陽(いんよう)   相混(あいま)じり
     この故   男と     女の神
     対をなして      生まれます
 11  これまでの神    三柱(みはしら)と
     四組の神    偉い神
     これらを称して    名をつける
     神世七代(かみよななよ)と    申します
解説・・・
古事記にも神世七代がありますが、神の名が微妙に違います。
古事記は、独り神二柱と、対の神五組です。
即ち々馭珪鑪(クニノトコタチ)
  ∨雲野(トヨクモノ)
  1比地邇(ウイジニ)と須比智邇(スイジニ) 
  こ凛(ツノグイ)と活杙(イクグイ)
  グ嬋拇庸獣(オオトノジ) と大斗乃弁(オオトノベ)
  Ρ母陀流(オモダル)と阿夜訶志古泥(アヤカシコネ)
  О房抛甦(イザナキ)と伊邪那美(イザナミ)

同じ言葉に、答えが二つあるのでは、
現代のテストには向いてませんね。
更に、古事記では、この神世七代の前に、
別天神(ことあまつかみ)と称して、
五柱の独り神がいます。
即ち‥掲係翆羲(アメノミナカヌシ)
  高御産巣日(タカミムスヒ)
  神産巣日(カムムスヒ)
  け摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)
  ヅ掲珪鑪(アメノトコタチ)

こういう、ややこしい神の名が、冒頭に並ぶために、
多くの人は敬遠して、古事記や日本書紀を、読もうとしないのでしょう。
こう言う所は、すっ飛ばして、最初は、ストーリーの面白いところだけ、
読むことを、お勧めします。

一方、日本書紀は、当時の優秀な学者が寄り集まって作った本です。
なので、学者風に、異伝・・・本文とは異なる伝承も、
丹念に掲載しています。
どうして、こうなったのでしょう。
私の推測は、次のようです。

天武天皇の時代は、ようやく天皇家が、他の豪族より、
一歩抜け出た家柄に、祭り上げられた時代です。
それより、何百年か前は、天皇家も他の豪族も、
似たり寄ったりの力でした。
例えば、天皇家が前方後円墳を作れば、
全国各地に、やや小ぶりな前方後円墳が多数できました。
天皇家が神話を作れば、他の豪族も真似をして、
多数の神話が生まれました。
だからこそ、天武天皇は、神話や歴史書を一本化しようとしたのでしょう。

ところが、日本書紀編纂室には、天皇家の代表のような学者もおれば、
各豪族の代表のような学者もおり、
なかなか意見がまとまりにくかったと思われます。
それで、異伝という形で、掲載することにより、
各豪族たちを納得させたのではないでしょうか。
なにか、現代政治における、
「なんとか諮問委員会の報告書」のような感じがします。

はじめに

今回から、日本書紀の神話について、紹介したいと思います。
私の著書「古事記 神々の詩」と同じ手法の、七五調四行詩で、
翻訳し、紹介します。
古事記と日本書紀では、微妙に違いますので、
その違いも紹介したいと思います。

古事記は712年、日本書紀は720年に、できました。
たった8年の間に、何故二つの本ができたのでしょうか。
私の推測は、次のようです。

そもそも天武天皇が歴史書を作れと命令し、宮廷に、
歴史書編纂室のようなものができたのが、681年ですので、
それから30年も経ってしまっていました。
それで、あせった元明天皇(女帝)が、
「とにかく一冊の本にして、私にみせなさい。」
と命令されて、急いで作ったのが、古事記です。

一方、編纂室のメンバーも、30年の間に、
どんな構成にするか、どんな内容にするか、
どんな文体にするか、色々議論し、
構想が練られていたのですが、
古事記に刺激されて、いよいよ本にせねば、と決心し、
作ったのが、日本書紀だと思います。
前置きは、とりあえず、このくらいにして、
それでは、はじめます。

天地創造
  1  遥(はる)かに 遠い      古(いにしえ)は
     天地(あめつち) 未(いま)だ   分かれずに
     陰陽(いんよう) 未(いま)だ  分かれずに
     混沌(こんとん)なること   黄味(きみ)のよう
  2  やがて微(かす)かに      兆(きざ)しあり
     清(きよ)く 軽(かる)きもの   天(てん)となり
     濁(にご)り 重(おも)きもの   地(つち)となる
     但(ただ)し 未(いま)だ    固(かた)まらず
  3  先(さき)に 天(てん)が    できあがり
     その後(あと) 地(つち)が  できあがる
     時(とき)は 過ぎ行き    天の中
     やがて 神(かみ)か゛    現(あらわ)れる

解説・・・
書き方は、陰陽道(おんみょうどう)の思想で書かれています。
と言うことは、この頃の日本では、韓国や中国から渡来の学者が、
日本人に漢字や中国語を教え、
同時に、仏教、儒教、道教、陰陽道も教えたと思われます。

また、日本書紀は、完全な漢文体で書かれ、
中国人が読んでも分るように書かれています。
しかも、中国の有名な古典の文章をまねて、
書いているところがあります。
また、渡来した中国の学者が書いたところと、
勉強した日本人の学者が書いたところがあるようです。
研究すれば、ちょうど英国人が書いた英語と、
日本人が書いた英語が、微妙に違うのが分るのと同じです。

一方、古事記は、太(おおの)安万侶(やすまろ)が、
一人で、わずか四ヶ月で書き上げたものです。
全て漢字で書かれてはいますが、
文体は、漢文のような日本語のような、
中国人には読めないものです。