航宙日誌
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がんばれ宮崎

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This is the archive for November 2010

早稲田大学の理工学部で非常勤講師をして12年目。非常勤講師といっても年に1回だけである。情報社会論という講座でベンチャー経営というタイトルで話をしている。相手は3年生。自分の経験を話しているのだが、みんな真剣に聞いてくれている。就職を控え、知りたい情報を提供できているのかもしれない。

担当の小松先生が今年で退官されるので、今年いっぱいかと思ったら、来年からもという依頼をいただいた。ありがたいことだ。最近、学生とほんの90分だが触れ合うことに楽しさを見出している。質問に来る学生の真剣な言葉がとてもうれしい。

年に1回の講師だが、役に立つのであればずっと続けていきたいと思う。

韓国へ行ってきた。宮崎経済同友会の少壮会員交流委員会と熊本、宮崎の同様の会での合同視察。の、予定だったが、延坪島における北朝鮮の攻撃事件により、自粛して延期となった。
しかし、あくまでも自己都合となるので、キャンセル料はかかる。また、小生がメインでセッティングした相手にも、この理由でキャンセルというのは本音では、えっ?という感覚である。したがって、自分は行くことにした。結局、宮崎からTさんが、熊本からも2名の参加をいただいた。

宮崎空港では、修学旅行らしき学生の集団がチェックイン。インチョン空港経由で他の地域行くようだ。他の目的地としても、延坪島に近いインチョン空港に立ち寄るわけだが、やはりキャンセル料や日程を考えると実行せざるをえないのだろう。

飛行機はほぼ満席。T氏と二人で、インチョンへ。1時間20分ほどのフライトで無事、到着。手続き等をすませ、ゲートに出ると今回の手配先であるHISのガイドが待っていてくれた。熊本からの二人もそこにいた。YさんとWさん。手配のワゴンでソウル市内へ。

ここから先は、出張報告として別途掲載予定。

昨夜は睡魔に襲われ早めに就寝。夜中に起きて仕事(宿題)。
目処が立ったところで再度寝る。
朝、早めに事務所に出社して、本日提出予定の書類の整備。プリンタがジャムってしまいあせった。

東京のシンクタンクの方を県庁に案内。いい打ち合わせができた。
その後彼らを空港に送り、昼食。空港のレストランコスモスにてイタリアンスパゲッティを食す。これはいわゆるナポリタンだが、生卵が乗っていて、これを熱い鉄板上でまぜるといい具合になる。空港ビルの隠れた名物。

書類の提出に佐土原の財団へ。その後綾に行き、打ち合わせ。結局方針決定で終わり、詳細は明日、集中して実施することに。

夕方、ロータリーの会合。土曜日のOB交流会の会場打ち合わせ。
帰社、いくつか作業を行ない、退社。

東京西ロータリークラブで私の推薦人であった、Yさんが宮崎へ。空港にお迎えに上がり、宮崎観光ホテルにチェックイン後、昼食へ。
昼食は伊勢海老の「よしき」。刺身定食と伊勢海老のおつくりをいただいた。久しぶりの伊勢海老はぷりぷりでとてもおいしい。
私が東京西クラブにいたのは2001年から3年間。本当にお世話になった。Yさんは理髪店を経営されていて、例会場のオークラにお店がある。歴史のあるお店で、明治時代の創業、帝国海軍の旗艦「三笠」の理容師を拝命したことからはじまったとのこと。「三笠」はイギリスで造船されその受け取りに同行、その際にロンドンのヘアサロンを見て回ったらしい。この経験がヘアサロン経営の土台になったと創業者の曾孫の方のホームページにある。

現在、Y氏は全理連(全国理容生活衛生同業組合連合会)の名誉講師で、今回、宮崎である大会に招かれて来られた。ロータリーでは仕事の話をあまりしないので、改めてすごい方なのだと感心。(失礼な話だが)利用に関する話を車中でいろいろと聞かせていただき、楽しいと同時にためになった。

Yさんが同じロータリーのSさんの設計した青島青少年の家を見てきたらとSさんに言われたということで、青島へ。場所は巨人が秋季キャンプしている宮崎総合運動公園内。キャンプ見学の人でいっぱいであった。
公園内の奥にその青少年の家はある。(写真はホームページより)

青少年の家は中に入ったことはなかった。しかしそのデザインのすばらしさにはあらためて驚いた。所長の岡田さん、担当の緒方さんには突然の来訪にも関わらずご案内をいただいた。随所にユニークな楽しくなるデザインが見られる。宿泊室はとても面白い造りをしていて、これは大勢で寝泊まりしたら楽しそうだと感じた。


運動公園から西都原へ。古墳と博物館をご案内した。展示の内容、古墳がならぶ風景は喜んでいただけたと思う。

夕方から前夜祭ということでホテルで別れる。Yさんの紳士ぶり、上品な東京言葉の言い回しはすばらしく、わたしにとっては模範たる人だ。

1995年11月6日は当社アイコムティの設立日である。その前日にある女性が行方不明になっている。
岩本美代子さん。昭和33年(1958年)生まれ。ちょうど小生の1歳年上となる。
彼女はこの日、「朝、男性と日向近辺に美代子さんの運転でドライブに出かけたが、日向大橋までで計画中止して住吉の動物園の駐車場で昼12時頃別れた。石崎浜海岸に本人所有の車が鍵がついたまま発見される。その後一切連絡なし。」(特定失踪者問題調査会)となっている。

もちろん当時、警察の捜査もあり同行していた男性についても調べたはずである。警察は自殺という線で見ていたらしい。


本日、岩本さんの住んでいた佐土原町で、同級生である津曲久美さんを中心とした「美代ちゃんの失踪(しっそう) を考える33の会」が、署名活動を行なった。今年で3年目、3回目である。小生の父親も特定失踪者であることもあり、お手伝いに伺った。

場所はコープ佐土原。正面入り口での署名活動に許可をいただいた。関係者の協力の姿勢に感謝14:30頃より準備に入り、地元でもある戸敷市長が顔を出してくれた。彼は岩本美代子さんの地元の首長だったこともあり、長年拉致問題に取り組んでいただいている。
この日も、顔を出すというレベルではなく、のぼりのセッティングや署名の声掛けなど限られた時間の中で自ら動いていただいた。こういう首長の存在は希少でありすばらしいことだ。
ぎりぎりまでお手伝いいただいたが、巨人軍の宮崎入りセレモニーに出るため、空港に向かわれた。最後もあちらこちらに挨拶され、秘書がやきもしているのがわかった。それくらいこの問題には深く関わっていただいている。
「水居さん、宮崎市内でもやりましょうね!」と声かけいただいた。今年の4月に、小生の父親が失踪した7月17日前後に拉致関係のイベントをやりましょうと話をしていた。しかしその後口蹄疫が発生。実現できなかった。

増元照明家族会事務局長も奥さんが佐土原出身ということもあり、毎回来ていただいている。彼の切々と語りかける呼びかけは感動的である。

コープに来られる方、ほとんどが署名いただいた。ありがたいことだ。しかし、拉致問題の風化は確実に起こっている。増元さんによれば、拉致被害者の家族の高齢化も日に日に問題となっている。被害者の親や兄弟は高齢化し、失意のまま亡くなる方も増えているのだ。

普天間問題、口蹄疫対策問題、尖閣問題と政府の対応はその無能さをさらけ出している。ロシアにも見透かされ、内部的にも情報流出などはっきりいって「だらしない」状況が続いている。こんな政府にわれわれは財産や人命を預けていていいのかと思う。
拉致問題は外交問題ではない。犯罪なのだ。犯罪を究明しない国は他にはない。

心有る政治家がしっかりと国を運営していく。早期にそれが実現してほしい。
憂国という言葉があちらこちらで聞かれるのは、絶対におかしい。

玄の会は墨彩画家、向原常美さんの主宰する墨絵の勉強会。3年前から先生と同窓というご縁から練習させていただいている。向原先生はとても教え上手で、わずか数カ月でもそれなりの絵が描けるようになる。

しかも新人もすべからく毎年開催される個展に出品することなっている。小生も出品するのは4回目だ。最初の年は入会して1カ月で出品するはめに。

今年も宮日会館にて11月2日〜7日の間開催。10:00〜18:00(最終日は15:00まで)
小生も3日は終日、6日は午後、7日は終日、詰める予定。

今年は四点出品した。タイトルだけをご披露すると、「明洞の夜」、「旧友」、「京芋の昼寝」、「鉢」である。
残念ながら時間がなく、全紙という大きな紙でのチャレンジはできなかった。会場に居ると他の大きな作品の前で、やはり描くべきだったと後悔している。

もともと筆や墨はきらいであった。小学生の時に書道セットを床下に隠して、無くなったということで習字の時間には硬筆で自習していた。

それがこういった縁で墨絵をやりはじめて、筆に対する抵抗感がなくなった。もちろん悪筆は変わらない。
墨絵は失敗が許されない、基本的に修正できないのだ。したがって集中力が求められる。小さい絵でも描いていくと、ほどよい疲労感を味わうことがある。
また、観察眼が多少鋭くなったかなと思う。

バーチャルな職業なので、こういったリアルな仕事は、なんとか続けていきたいと思う。