航宙日誌
Google
がんばれ宮崎

みやざきWEBチャンネル TOP 航宙日誌日々新たなり

Archives

This is the archive for September 2010

ソウルへ行ってきた。
自分の用事を済ませるために、自分の都合で日程を先に押さえて、旅行の手配をした。航空券もホテルも満足していたのだが、いざ、アポを取り始めて、愕然とする。
9月21日から23日が旧暦のお盆で、しかも今年は20日と24日を休めば10連休となるのだ。
何年に一度といった大連休。大手企業や官公庁ほとんどが休み。これには驚いた。スケジュールの空きも格安航空券という事情からも他に変更はできない状況なので、結局行くことに。何人かは休みなのに時間を合わせてくれた。


宮崎発のアシアナは100分かからずにインチョン空港へ到着。途中ユニークな雲をたくさん撮影できた。キャビンアテンダントが気さくに勧めるので、ついつい缶ビールを3本ほど飲んでしまった。


かなり大きいマット

インチョン空港で飛行機を降りるとすぐに防疫マットがある。インチョン空港が開港してからずっと置いてあると記憶している。宮崎の空港もこれくらい大きなマット(しかもジュクジュク)すべきと思うが。

インチョン空港からホテルへのリムジンバスは道路が空いているため快調に走行。早めにホテルに到着。早速、いくつかの目的地に向かおうとしたが、なんとヒルトンホテルのベルが、休みだからタクシーがなかなか来ない、待っててくれとのこと。あらためてお盆のすごさを知る。目的地は3勝2敗で休みが多く、なんと明洞のロッテデパートも休みであった。

工場なども休みなのだろう、空はとてもきれい。

梨泰院の知り合いの店に顔を出したあと、中一会館で焼肉を食べる。同行のTさんもおいしいと言ってくれた。ビール、焼酎、マッコリと続く。その後、24時間スーパーのキムスクラブへ行くがここも開いていない。結局カラオケで歌って踊って終わり。ウイスキーをショットで、牛乳をチェイサーにという、知る人ぞ知る飲み方で、なんとウイスキー4本空けていた。(ボーイとかにも面白がって飲ませるからだが)

翌日は、朝、取引先とのミーティング。午後の別のミーティングまで時間があったのでキムスクラブへ。今日は開いていた。インスタントラーメン、マッコリ、とうがらし、キムチ、などを大量購入。Tさんは生鮮品の陳列状況、品物の種類などを見て楽しんでいた。円高なので、確かに安く感じる。60cmm四方の特大のショッピング袋ほど購入したが、なんと83,000ウオン(6,000円くらい)。

午後、韓国で230店舗以上展開するHolly's CoffeeのLeeさんと会う。宮崎ロータリークラブのメンバーのTさんの紹介。Tさんはケンタッキーフライドチキン(KFC)のトレーナーをやっていて、韓国、ハワイも担当していた。Leeさんは大手商社DOOSANでKFCを立ち上げる職務にあり、Tさんとの交流が深まったようだ。Leeさんはその後独立、最近、このHoly'sとは別にコーヒーとチキンの店を立ち上げたらしい。同じ年であった。得意でない英語でのミーティングは少々疲れたが、満足いく面談だった。
熊本、鹿児島、宮崎の三県の若手経済人で行なっている、南九州経済連絡協議会の行事でソウルを訪問する予定だが、その際に話をいただくこととなった。

その後、目的地をいくつか訪問。その中で清渓川文化館はとてもすばらしかった。清渓川はソウル市内を流れる河川だが、汚染や悪臭、治安の問題から川に蓋をしてしまっていた。その上を高速道路が通り、その両脇には露天商がたくさん並ぶような状態が続いていた。現在の大統領がソウル市長の時代に、決定、実行され、高速道路を壊し、河川を復元したのである。現在は約6kmほどの散歩にもよい美しい河川公園になっている。文化館では清渓川の歴史からどのようなひどい状況だったか、それをどのように復元したかを凝った演出で展示している。4フロアほどの移動しながら見る展示は見ごたえがあった。
ミョンドンがスタート地点になっているが、こちらは昼間はオアシスのように、夜間はライティングされデートスポットになっている。

東大門は卸問屋の乱立する場所だが、ここの野球場跡地と競技場跡地は立派な公園になるらしい。現在工事中である。清渓川文化館に最終残った3つのデザイン案が飾ってある。第二案なんかはすばらしいデザインだった。

久しぶりにミョンドンに出て、買い物をする。そしてしゃぶしゃぶを食べた。しゃぶしゃぶといってもしゃぶしゃぶ鍋というほうがあたっているかもしれない。最後のうどんがうまく、満足。結局またカラオケに行く。日本人のグループが3組いた。知っている韓国人の女性グループが隣にいたのでジョイントして、へたくそな手品を見せた。すると他の日本人客が大喜び。種明かしをしてくれとか教えてくれと、カラオケそっちのけで講習会に。またこれも楽しいかと。

翌朝は7:00のバスで空港へ。あっという間の3日間。帰りのフライトも順調。宮崎に到着し、降りようとすると、なんとD社のK氏がご夫妻で隣の列に乗っていた。ヨーロッパでのバカンスを終えてのトランジットらしい。インチョンはハブ空港なのだ。
税関を通り、外へ出ると、今度は宮崎北ロータリーの面々。同級生でもあるK工務店のK社長がいたので、話しかけると、韓国の姉妹クラブとの交流でこれからソウルへ向かうとのこと。
ソウルは宮崎と近い。交流はどんどん進んでいくと思われる。すべてがうまくいくためには最低限、相手を理解し、対策も講じないといけない。防疫マットは置くべきと思う。

先週、友人の家にお邪魔し、恒例の夏鍋パーティを5名でやっていた。女性2名、男性3名である。(みんなアラファイブ)

ある瞬間、大騒ぎになった。その家の奥さんの叫び声が洗面所から。どうした!と駆けつけると、洗濯機の下を指さしている。そこを見ると、、、細い茶色の脚、しかも毛が生えたのが数本出ている。蜘蛛だ。なつかしい。昔の実家にはかなりいた。しかし久しぶりに見るとこれはなかなかグロテスク。大きさも全長で10cmはある。
どうする?いや、益虫だから殺しちゃだめだ、えっこんなのいたら生活できないと大騒ぎ。それを傍目に彼(彼女?)はするすると洗濯機の下に。

ゴキブリとか食べてくれるんだから、心配ないよ、となだめるも、眉間に深いしわのまま。早速ネットで調べたら、やはり人間には害はないとのこと。それどころか、しばらく彼がいてくれるとゴキブリはいなくなるとのこと。その方がいいよ、となだめて、いったん終了。

数日後、飛行機の機内でカメラを出し、空中に浮かぶ雲を撮影していた。客室乗務員が声をかけてくれた。近づいてきている富士山を撮影していると思ったのだろう、「ちょっと富士山遠いですね」「あ、そうですね、今は僕は雲を撮っているんですよ、雲の写真見ますか?」きっと自分のイントネーションかアクセントがおかしかったのだろう。彼女はちょっと引いたのがわかった。それに雲をわざわざ撮る人はいないのかもしれない。引き気味だったがデジカメの画面を見せると、安堵の表情が。「あ、雲ですね」とちゃんとしたアクセントで答えが返ってきた。

悪者の感がある蜘蛛。スパイダーマンという例外はあるが、やはりイメージはよくないようだ。人間にとって益虫である彼らのイメージチェンジはなかなか難しいものだろう。

さらに数日後、友人から電話があり、リビングのドアのちょうつがいの下で件の蜘蛛が死んでいたとのこと。ドアの開け閉め時に運悪くはさまったらしい。彼の家のゴキブリにとっては朗報である。

最近ブログの更新が少ないね、と言われる。自分自身そう思っている。原因はなにか。忙しいというのもある。遅めの夕飯を食べるとビールのせいもあって眠くなってしまう。翌朝、早く目が覚めるが、仕事が中心となり、ブログまで時間が回らない。以前だと夕飯の後に焼酎をなめながら書いていることが多かった。
もっと大きな理由がある。twitterである。多くのtwitter愛好者がブログを書かなくなった、と同じことを言っている。なぜ、そうなるのか。ブログも一種のつぶやきなのだが、twitterは140文字以内という制約が実は魅力でもある。短文ブログとも訳されるが、そのとおりで自分の心情をさらった公開できる。しかもリアルタイム性が強い。
例えになるかどうかだが、小説を書くのと短歌を書くのとの違いだろうか。
もちろん、短歌同様、短い文章での表現は難しいものがある。まあ、それも魅力に感じている人は多い。短文でどう表現するか。140文字ぴったしで書き込むのが快感というひともいる。

このtwitter、実は馬鹿にしていた。いずれ終わるよ、なんてうそぶいていた。SNSも以前のような勢いはなくなった。最初はよいと思っていたSNSというネット社会も人が多くなると幣害や飽きも出てきてしまう。3月に友人の美女二人から勧められ、ついつい始めてしまった。最初はトライアル、どんなものかを知るために始めたようなものだが、この美女たちの人脈とも絡み始め、次第にあれ?と思うようになった。このリアルタイム感、伝播性の強さに驚いた。
そして、口蹄疫の発生。口蹄疫の被害に遭われた農家やその関連の方々、友人でもある尾崎牧場尾崎さんなどが現場の情報をどんどんツイートしてくる。マスコミ報道と現場の状況が違うというのにもtwitterで気づいた。twitter上では、日に日に感染が広まり、悲痛な叫びとも言えるツイートがどんどん増えている状況だった。しかし、その間も政府関係者のツイートはのんきなものだったし、首相や関係大臣のブログやtwitterも同じだった。極めつけは、ゴールデンウイーク中に外遊していた赤松大臣の来県。twitterとUstreamにより宮崎県庁前から一般人の中継がなされていた。結果、大臣は何を怖れたのか、裏口から県庁に入った。この頃から自分も口蹄疫問題、だまっていられなくなった。大臣の外遊中の行動や帰国直後の発言なども紹介される。連休前5000頭くらいの殺処分対象が、連休明けには10倍になっていた。多くの農家や関係者のつぶやきというよりも叫びが刻々と発せられていたのにだ。

5月20日だったと思うが、がんばろう神戸というワッペンを当時のオリックスなどが着けていたのを思い出し、宮崎がんばろうという意思表示ができるものをなにか作れないかと思いついた。できればそれを購入すると募金になるようなものはどうかと。そういう趣旨をツイートしたら数名からすぐに賛同された。正直、初めてこのようなリツイートを受けたのだ。ということは、この企画は評価されていると判断した。
早速、実現に向けて動いた。すぐにできるもの、送付しやすいもの、コストが安いもの(募金額を増やすため)といろいろと調べたら、缶バッジがよさそうだった。そしてバッジをデザインするデザイナー、ネット販売してくれるサイト運営会社と知人の中からあたり、21日に集まった。デザインもほぼ固まり、22日にはバッジ製造会社に版下画像を送付し、23日にはサンプルが完成、24日には手もとに届いた。ネット販売ついてはシステムの改良が必要だったたが、1週間後の31日には販売を開始できた。
そしてプロモーションもほとんどtwitterである。多くのフォロワーの方々やさらにそれを見た方の「拡散」により
リツイートにより、情報がかなり広がったものと思われる。1カ月で1,000本販売できたのも自分たちでも驚きであった。結局4カ月間で5,000本の販売につながった。第一弾として宮崎県弁護士会が作る基金に200万円、第二弾として宮崎県の共同募金に200万円の計400万円を寄付することができた。

twitterは上手に活用すればかなりの可能性を秘めている。
といいつつブログも一所懸命やろう。twitterを言い訳にはすまいと考えているが、、、。