航宙日誌
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This is the archive for December 2007

東芝は結局はパソコン販売においてマイナーメーカーとして苦戦をしていました。一方で、東芝は海外事業においてポータブルパソコンをこっそり開発していました。ドイツの展示会で出したところ、たいへんな反響があり、具体化していきます。
米国でT1100を販売、ヒットします。
これを国内に出そうという計画がもちあがりました。当初はパソピアシリーズの16ビットパソコンをポータブル(のちにラップトップと呼称する)にする計画でした。というのも、T1100は世界的なシェアを持ち始めたIBMPC互換で、英語版のソフトしかなかったのです。日本語のソフトがなければ売れないということでパソピア互換だったのですが、最終的には、IBMPC互換機に日本語ソフトを移植してもらうことになりました。
有力なソフト会社を手分けしてまわり、移植をお願いしました。きっと将来IBMPC互換の時代が来ると説得してまわったのです。しかし、本音はほんとうにそうなるだろうか、NECのシェアが巨大であり、どうなるだろうと思っていました。
ソフト会社はNECのやや高飛車な態度、競合の増加など、新しい話を望んでいる部分もありました。また、機種ごとに開発をしてサポートをしていくことにも課題を持っていました。日本のすべてのパソコンが互換性があればとても楽になるわけです。また、米国をはじめ世界に販路が広がるかもという期待感もあったようです。次第に移植を宣言してくれる会社が増えてきました。
その頃のソフト会社とのおつきあいは個人的に継続しました。会社をやめてから今でもまだ付き合っている人がたくさんいます。
この東芝のパソコンプロジェクトはわたしの人生にも大きく影響したと言ってもよいでしょう。